オーブは、アスペクトやコンジャンクションと共に用いられるものです。オーブは始め[球体(ラテン語でorbis)]として考えられたというよりも、惑星が影響力を及ぼす範囲や幅と捉えられていました。意外とこの概念の盲点になっているのは、球として捉えることにあります。
オーブは、アスペクトやコンジャンクションという線や状態が持つものではなく、惑星そのものが持っています。それゆえに、アスペクト(のような帯)ごとにオーブの幅を変えることは不要です。
オーブの捉え方は、古代から様々な考え方と意見によって形作られてきました。始めは、影響力の強く及ぶ範囲のことを指していたと考えられます。レトリウス(6世紀)の著した Astrological Compendium という書物にそれが載せられていて、それによる「3゜」基数の0.00~2.59°よりも、階段差の3段(0.00~3.59°)と捉えているようです。
古代の西洋占星術の全ての序数は、時には序数通りに家の1階、2階のように、序数の17分が、基数の16分(カジミ)となっているわけではありません。考えられる概念の中には、明らかに階段差のように数えるものが含まれているだけです。
更に時代を変遷していき、アル・カビス(10世紀中ごろ)の時代までに、オーブの基本的なものが6°(両側なら12°)を中心として構成されていったようです。アラビアに占星術が伝わった時代の多くの占星家が、あるオーブの幅に賛同しています。それは、下記のように、それぞれ片側の幅で随分と広く拡がっています。
太陽が15度、月が12度、水星7度、金星7度、火星8度、木星9度、土星9度です。しかし、オーブの端が分かりにくい様に、陸と海の境を波打ち際で観察していても、よく分かりません。そうではありながら、判断では重要な基準になる場合が多々あります。
基本的な惑星のオーブが6°と言われるまでに、おそらくホラリー占星術で確かめる場面が数多くあったのでしょう。そして、惑星の影響する範囲が整えられていったのだと思われます。これは想像なのですが、ネイタルでは確かめようがありません。
太陽の側に近づく惑星達はその光によって隠されてしまいます。このことを観察した古代の人達は、太陽の回りに一種のオーラがあると捉えました。これが、オーブの始まりであると言われます。惑星はそれ自身の回りに、強く影響力を与える領域を抱えているのだと考えたわけです。
ウィリアム・リリーはオーブの幅を両側を足してこの幅だと誤解していたようで、それぞれの半分を考慮していることが分かります(下記)。これは、フランス人占星家ダリオットの意見に従った結果です。C.Aの107p表には、リリーが妥当だと認めたオーブの幅が記されています。何故、アラビアの占星術師のオーブを採用しなかったのでしょう。しかし、右側の表は、かなりアラビア占星術師たちの使っていたオーブに近いものです。
右側の火星は7度となっています、8度です。リリーの経験で7度としたことになっています。♂を8度にすると、アラビアの占星家と同じになります。しかし、リリーはあくまでも片側だと信じていました。
彼がオーブの幅を多少誤解していた事を、私はボイドの項で書いています。そうではありながら、もともとオーブの幅が考慮の重要な部分ではないので、リリーは全く誤判断をしていません。幾つかのチャートでは、難しく考えて正答を得ています。「オーブは、時々重要になるだけ」というのは、こういう歴史的な事実からも汲み取れます。
考慮の対象になるオーブは、物事が完成されるか、あるいは又、物事が完成しないことを観察しているときに生じます。惑星A.と、惑星B.が、近い時期に、角度による角度に従ったアスペクトを完成させる時までに(A.とB.が結び付くまでに邪魔立てする惑星が無いと仮定して)、彼らが互いのオーブ内にあれば、良い事であれ、悪い事であれ、物事は完成します。
しかし、惑星A.と、惑星B.が互いのオーブを足した以上に離れていると物事は完成をみません。月と当該の惑星がある程度以上離れているなら、サインの端までにアスペクトする惑星が無くても、ボイドとなります。例えば、月が2度、火星が25度などです。両方の惑星のオーブを足しても20度なので、互いに、まだ、認識し合っていないこととなります。
● 角度による角度に従ったアスペクトの考慮は、必要なこともあり、不必要な事もあります。物事の完成を観察するなら、角度による角度にしたがったアスペクトも必要なことです。サインを越えてから角度による角度に従ったアスペクトを取る事もあり、これも完成を示すことになります。
サインを越えてから角度によるアスペクトが完成される時 ※参照 ボイド
一般的に、惑星(A.)は、サインの端に至るまでに、他の惑星(B.)とアスペクトなりコンジャンクションをしなくても、次のサインに至るまで考慮ができます。ただし、サインを越える場合には、近づく方の惑星のオーブのみを考慮した方が確実です。このことは、サインを越えることで、完成に至る何か一つの条件をクリアすることを示しています。サインを越える場合には、近付かれる惑星のオーブが採用されることもあります。つまり、両方のオーブをいつでも足せることになります。が、断言はできません。何か、別の法則が必要に思います。ASCのロードがアフリクトされていないとか、☽が良い状態であるとかの、何かが必要に思います。
2つの惑星のオーブの幅を越えて、効果の出るアスペクトはありません。
サインの端をその出来事の終端位置として捉える事も有る。
例えば、スポーツの試合等では、全ての惑星を次のサインに入れずに考慮します。サインを超えてアスペクトをしても無効です。日を跨いで行う試合は、別です。囲碁とか、将棋とか、クリケットは、次の日にも続きを行います。
シリーズ戦のように、今の試合のように判断することが難しい要素を含んでいるホラリーの質問もあります。この場合にはオーブを越えて良いかどうか、的確に質問の「質」を考慮して判断しなくてはいけません。
上記のようなオーブ幅は、広すぎると思われるかもしれません。しかし、月とそれぞれの惑星とのアスペクトで、確実に効果を生じさせます。ぜひ、経験してください。ホラリー占星術でネ。
太陽などはサインの15度にあると、サイン全部を覆ってしまいます。アンダー・ザ・レイも両側15度ですから、 太陽の‶オーブ”と同一です。
我々に伝承されたオーブは、明らかに惑星ごとに決められたものです。アスペクトという 線に固有の概念ではなく、惑星固有のオーラです。
オーブの観察は行うべき場合と、行わなくても構わない場合があり、どちらかというと、多くは考慮をしません。オーブの観察に至るかどうかまでの手順を考えてみると・・・
1.質問に、物事の完成が必要であるとされているかがスタート
2.惑星の入っているサイン同志がアスペクトしているかどうかを見極め
3.同じサイン内を移動すれば、数度でアスペクトが完成するなら、オーブの観察は要りません。それよりも、妨害者が生じないか、トランスファー・オブ・ライトや、コレクション・オブ・ライトが生じていないかの観察の方が重要になります
4.完成を示すには、かなり角度が離れ過ぎていると思われるなら、オーブを考慮することになります。
惑星達がオーブ内に留まっているかどうかは、常に観察すわけではありません。しかし、考慮の対象として念頭に置いておく必要はあります。
惑星がオーブだけで物事を妨害する事はありません。同時に、オーブ内だからということで物事が完成される事もありえません。惑星同士による正確なコンタクトが要ります。確かに惑星達はサインを越えても物事を完成することを示す場合があり、この時こそ、オーブの幅を考慮するチャンスと捉えてください。
あえて考慮しない場合もあります。それは、ボイドの項で書いているように、期間が限定されているものです。スポーツの短期の試合経過では、サインの端を、その試合のチャートの終端と観察しますから、サインの終端がオーブの終端となります。
分かりにくいので、作り直している
彼は、チャートの中の月は、これまでがボイドであった(過去形)と言う。
「... this Figure well manifests; the Moon separated (a vacuo) and ...
このチャートは旨く明示していて、月は(a vacuo[ボイド])から離れてきて、...」
「...; she applied to a Sextile of Mars,...
月は、火星にセキスタイルで近付いていた、...」
とあります。
そして、火星はフォールであるけれども、月は火星とリセプションしているから希望があると書いています。もし、これがボイドであれば、火星へのアスペクトを全く考慮できません。レシーブだけとなります。月はサインを越えてそのオーブ内で火星に、リセプション(レシーブとアスペクト)を完成させます。
ただ、リリーはこういう場合にオーブの半分ずつを足しています。何故なら、火星と月は7゜離れているからです。リリーは月のオーブは12゜で、考慮する場合は半分だけだよとC.Aの439pでほのめかしています。このことから、近付かれる火星のオーブの半分を足して考慮しているように考えられます。
まるで、サインを越えても越えなくても、オーブを半分にして考慮しています。
サインを越えてアスペクトなりコンジャンクションが完成する場合には、オーブを考慮せざるをえないこととなります。何故ならば、どこまでも、角度による角度に従った惑星同士のアスペクトなりコンジャンクションが完成を示すなら、かなり広い幅を考慮していくことになるからです。それでは、際限が無くなります。
(オーブは)、
そういう意味では、私達の観察を打ち切る一つの限界を示しているとも言えます。
だからといって、全ての事柄でオーブの端を限界としているわけでもありません。本当に占星術はややこしくて厄介です。
ネイタル・リーディングの本 | 推薦図書 『星の階梯シリーズ』