極端なことを言えば、チャートはその人(占星術師)のどんな考え方に従って読む事も可能です。
つまり、時にはチャートを読む技術よりも、チャートを読む人の哲学や考え方の方が優っている事が多々あります。
その事に気が付いていらっしゃいますか?
占い師は高い技術を追い求めながら、実際には、自分の考え方に従ってチャートを読んでいるものです。そして、読めてしまいます。
トラディショナルな占星術も同じです。それは確かな技術のように見えても、実は、古典的な考え方を学ぶものです。
古典的な考え方というと奇異に思えますが、そこには現代の生活にも活かせる貴重な体験に基づく先人達の智慧が多く含まれています。例えば、全ての人が幸福になりたいと思い生きていながら、何故、充分に幸福感を得られないのでしょうか。
先人達の教えは単純です。まず、「可能な限り不平不満を持つな。今の状況を満足だと捉えろ」です。これでも分からなければ、視点を変えて幸福だと思い込めと、乱暴に思えますがその方が豊かになれるとします。
例えば、日本というのは狭い国土だと思うのと、海を含めれば世界で六番目に広い領域を頂く国だからとても広い国だと、視点を変えるようなことです。
ネイタルのチャートを読む事は、ホラリー占星術のチャートを読むよりも数段難しいのは、学ぶ段階で幾度も哲学的な考察を求められるからです。
これらの命題に全て答えられるのが占い師である、なんてことは言いません。ただ、占い師は、これらの大事な問題をも避けていないという認識は持っておいて頂きたいのです。何故なら、占い師は人様よりも幸福についてより長く考察する時間を頂いているからです。
他の人の幸福って、自分が幸福で無いと言えないかも・・・ と考える占いの好きな人は、生きている間にこれらの問題に必ず取り組みたくなるはずです。
本当に占いがが好きなのか、食べる為の糧にできるから好きなのか、それは、このような質問にどれくらい取り組んでいるかで計れるようにも思います。これらの事は、直接占い師に尋ねてみられればいいです。
哲学を持つのと持たないのとでは、どう違ってくるのかというと。
例えば、アセンダントのロードがアングルにあって、高いディグニティーを持つとすれば、チャートを読む人の考え方によってその「良さ」を、
等々、幾通りにも読めてしまうのです。
特に正しい読み方はありません。
では、どうすれば良いのか?
その人の置かれた立場、置かれた地域、生まれ、生きている環境等に合わせながら読むしかありません。又、できるだけ客観的に読もうとすると、それこそ大変な量の占星術の、そして、その他の勉強量が必要になることが分かってきます。占星術のリーディングはその読み手の人生観の反映とも言えるものです。
チャートが目の前にあって、目の前に人が居るはずなのに、読み手の人生観の反映に過ぎない・・・ ?
事実はそうなのです。
ただ、トラディショナルなものと、近代的なチャートのリーディングには決定的に違う方向性は見えます。
それは、トラディショナルな占星術は事実を中心に読んで行きます。
それに対して、
モダンな占星術は、チャートの全てが精神的なもので構成されていて、性格が人生を作るのだという風に読む傾向があるということです。
もちろん、これは極端に二分した見方であり、モダンな占星術師が現時点で経験している恋愛の結果をネイタル占星術から読まないかというとそうではありません。
トラディショナルな占星術では、現時点で恋に落ちている場合は、その愛の行く末をホラリー占星術で見てしまいます。
人々の求めに応じて読んできた。
そう思います。現代でも、同じです。
トラディショナルな占星術を学べば、今より数段自分のことが分かる。というのであれば、こぞって学ぶ必要もあるでしょう。残念ながら、トラディショナルな占星術では、性格でさえも直していけるという考え方が眠っていると感じるのです。
まさに、現代の人々の求めに応じて読まなくてはいけません。それが幾重にもトラディショナルな占星術を学ぶことの難しさにつながっています。
人々の求めに応じて読むということは、現代に生活している人々のトレンドを知るということにつながります。特に、価値観が多様化した現代では、これを知るだけでも占星術の勉強をする以上の努力が要ります。
占星術の勉強だけでは、何かが欠けてしまうのです。人生をトータルに学ぶ姿勢、そこに本当の占いが潜んでいて、それはそんなに一朝一夕に手に入る技術ではないのです。
ネイタル・リーディングの本 | 推薦図書 『星の階梯シリーズ』