占星術には、もともと神さまの位置がもうけられています。だからといって、西洋占星術は宗教ではありません。人々が何らかの形で目に見えない世界を肯定している気持ち、精神、考え方に基づいています。それは我々日本人にとって馴染みの深い、神道の世界に近いと言ってもいいでしょう。自分の家の宗教が神道でなくても、初詣に行く気持ちと言えばいいでしょう。漠然と、神様って見た事がないけど居るらしい。といったような感覚が占星術にもあると思って下さい。
ですから、神なんて関わっていないという立場を明確にとるのは唯物論的な占星術と言えます。
占星術は、難しく言うと唯識論に近く、誕生に基づくホロスコープや、ホラリーのホロスコープでも、そこに形成される太陽や月、土星や木星の位置は、心の表れであると考えます。又、垂示思想的な面も持っていて、社会情勢を表すホロスコープ※1には、天からの示唆があるであろうと考えます。天、あるいは我々の心を背景としてホロスコープは出来上がっていると考えるわけです。
それらの天体の位置は、物理的な影響のみを与え続けるわけではありません。
占星術が一見、唯物論に見えるのは、月の引力に代表されるように、惑星が我々に影響を与えているじゃないかという『力』、唯物論的な『力』に目を奪われる結果です。その力を認めると小惑星が見つかる度に、彼らの影響はきっとあるのではないかと考えてしまい、そのうちに解明されるはずだとして意味探しという煩雑で多忙な忙しい占星術となったりします。
確かに宇宙に存在する全てのものには理由があるでしょう。だからといって、それらが占星術的にも意味があるとするのは別の事柄です。例えば小惑星を西洋占星術に持ち込むには、西洋占星術的な哲学が背景にあって、それに当てはまる理由も無くてはいけません。
極端な話、唯物論的な宇宙論を押し進めるには、地球中心の天球図から、太陽中心の現代物理学的な世界観に基づく天球の方が占星術を推し進めるには正しい、という理論が不可欠になります。
従来の古典的な占星術は、あくまでも地球中心の占星術です。唯識論であるとする立場は、この地球中心の天宮図を頑なに守り、変更を求めていません。なぜなら、本質的な惑星を象徴として捉えているからです。そしてこの世の(宇宙といってもいいですが)全ての中心的な、たぶん一つである『本質』を見抜く事を目的にしています。
『本質』を見出す、心の世界に立ち入る、人の心を垣間見る、心を共有する、心を分かってあげる、心で判断する、などなどの方向は、古代から占いにおける重要な位置付けでした。光を見ながら神の叡智を感じるように、ホロスコープを見ながら、その人の気持ちを感じ取り判断をすることが真に重要な事だったのです。
質問の本質を見極めるためにホロスコープと対峙するというのはよく言われることです。もちろん、一朝一夕には行かない難しい境地でしょうし、西洋占星術のことも良く知らないとできないことだと思います。
だからこそ、判断の前の考察を充分にして、それで良いのかという気持ちでゆっくりと前に進んでいければよいと思います。
※1、その年の国家の行く末は、春分図で占う。又、その基になるチャートとして、数年前に起きた土星と木星のコンジャンクションの時の図、当該の春分の前の満月や新月の図も使う。
ネイタル・リーディングの本 | 推薦図書 『星の階梯シリーズ』