「天はそこにある物体を動かすことによって、下界を納める」 という意味は、天を見上げて楽しんでいた古代の人々にとって真実だったようです。
世界中に散らばった我々の祖先が抱いた素直な神への思いと、星が言葉を語っているかもしれないという思いは、きっとそれほど隔たってはいなかったのだと思います。
現代でも、ミッションとか通信とかチャネリングと呼ばれ、人以外の存在が、何らかの知らせを送ってくれているはずだと感じる人は少なくありません。それらは決して宗教という形で始まるわけではありません。過去においても単に、神示(シラセ)、だったのです。日本ではそれが、神事となり、神道という形に発展しました。
日本でも多神教であったように、自然発生的な宗教(そう呼べるかどうかも分かりませんが)には、多くの神々が登場することになります。神示に戻ります。
アポロンの宮殿で行われた神託は有名ですが、それ以前に、「神示」と一絡げにしてしまう言葉の内容について少し探求を重ねなくてはいけません。兆し占い、啓示という言葉が残っているように、人を介して神託が下ると同時に、季節の景観や気温、空の様子などにも、前兆や兆しを読み取ろうとしていたことでしょう。更に、人々の生活の中にも法則は無いかと探したことでしょう。ゲンを担ぐ等はこの類に入ります。
星占いは、季節の景観や気温、空の様子に入っています。明け方に特定の恒星が見えるようになれば田植えの時期になる等、占いとは呼べないほどの事柄が、兆しとされていたことでしょう。
万象全てが神の采配によるものという考え方は、日本の古事記にあるところですが、この思想は案外世界中にあったかもしれません。その中でも、日照りや、長雨にあった時の人々の対応はいかばかりのものだったでしょう。神に祈り、祭祀を執り行い、神に願ったと考えるのは遠くありません。
そうであれば、どの民族であっても、神の神意を訊ねたいと思うのは自然なことです。
西洋やアラブでは動物の肝臓を焼き、東洋では亀の甲羅を焼いて占うという方式が出てきました。やがて、星を使った占いも併用されて行くのですが、あくまでも政(マツリゴト)主体の占いの範疇を出ていません。
一方、我が国では天災を鎮めるため、その原因を罪に求め、禊ぎ払いという形式が生まれる事になります。それを神事としました。このように、日本と同じように、西洋にも、占いには政りごとと密接に結びついた歴史があったのです。
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