他人を相手にして西洋占星術のチャートから何かを読み解く時に、昔の人は相当、自分自身について考えていたのではないかなと・・・ つまり、同時に相手の幸せにも通じるところがあるから考えざるを得なかったのではないでしょうか。
そう考えると、リリーのクリスチャン・アストロロジーでもホラリーの後ろにネイタルが置かれている事がしっくりときます。自分はまだまだ人という存在に付いての考えが足りないんじゃないかと思うと、先に置けないのです。憶測の範囲を超えませんけれど。
だからといって、自分自身を完全に知るところまで行かなくてもいいでしょう。少なくとも、他人に幸せについて語るなら、幸せとは何かを充分考えておくことは必要になると思います。それこそ、理想的には自分が幸せになっていること。もちろん難しい事です。多くの人が、西洋占星術を通じて自分を知りたいと思うわけです。私はそれを一旦諦めています。それほど簡単な事ではないと。
だからこそ、西洋占星術のネイタルは入口において哲学的にならざるを得ません。私自身も多くの占い師に未来はこうだああだと言われているのですが、どれも、しっくり来ないのです。何故? 「幸せ」の概念が違うような気がするのです。良い事を言われるのは気分が良いものですが、本当に知りたいのはそれなの? 違うのですよ、きっと。
性格のことを言われても、納得いかないのです。もっと幅が有るはずだし、それほど良くもないです。そう考えると、良く言う事は決してないのではないかなと思ったりもします。それよりも、言えない部分が相当有ると考えた方がいいでしょう。
また、性格などどんどん変わっていく微妙な部分があるものです。素直でのびのびしていた子供がだんだん大人になって、いつ頃から意地悪になるのでしょうか? そうかと思うと、いつも拗ねて意地悪そうに思えた子が、言ったことはきちんとやり遂げる社会的には受け入れられる性格に変わっていくこともあります。
下記の場合は決して悪いわけではないでしょう。
それよりも、良い性格、悪い性格ってあるのでしょうか。常に良い立場に置かれ続けていると、良くなるよりないのでは。常に悪い立場にあって、良くあり続けるのが難しいのだと思います。そこには、貧乏と病気という見過ごすことのできない難題があります。
現在の日本では10数年来、3万人を超える自殺者がいらっしゃいますが、その原因のトップが経済苦ではなく、病苦なのですから、病気を見過ごすことはできません。そうでありながら、あなたはこういう病気を患う傾向がありますと言われた事がありません。何故?
気質の傾向を話し、この気質の人はこういう病気になり易いという話ができないものでしょうか? ただ、違った気質も同じ病気を作ります。ということは、やはり難しい事に違いないのです。ホットでドライな気質の過多も、コールドでドライな気質の過多も、同じように癌の原因になります。ホットでドライな原因を持つ癌は治り易いものです。それは、医薬品の多くがコールドでドライな性質を持つからです。
体を温める働きのある医薬品が何故少ないのでしょうか? 漢方医薬品には多いのに? 西洋占星術を学んでいると、ホットでドライなものにも二つあることを知ります。太陽と火星で示されるホットでドライです。体に良いのは、急激な熱ではなくて、やんわりと体の内側から温めるホットでドライな太陽です。火星も必要性があって存在しているわけですから、時には重要な役割をするでしょう。
気質の話から横道にそれてしまいましたが、こと、貧乏と病気を捉えるだけでも、そうとう奥が深いと言わざるをえません。他人の幸せを見つめる事は、自分の幸せを見つめる事です。相手の為に考えてあげておくということが、占いをする上では大事になってくるのかなと今日この頃思い始めている事、でした。
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