月が蟹(かに)のサインにあれば、「かくかくしかじかの意味を持つ」
月が蠍(さそり)のサインにあれば、「かくかくしかじかの意味を持つ」
何故ならば、蟹や蠍のサインは水のサインであるから、そこに月という水っぽいものが入っていれば、「かくかくしかじかなのだから」・・・
そういうコンビニエンスな意味の把握を西洋占星術の解釈では行ってません。
「いえ、していますし、書いてありますよ!」
だから、コンビニエンスだと言っているわけです。当たっています。ですよね。水のサインに入った月は強い感情を放つわけなのですが、それって、誰にとっても当てはまる事です。感受性が高い!
感受性が高いと言われて嬉しく無い人がいるでしょうか?
又、感受性が低い人ってどんな人でしょうか?
この世に生きているほとんどの人は、感受性が高いのです。
私はアセンダントも水のサイン、太陽の位置も水のサインですが、感受性というほどのものを持ち合わせていませんし、とても図太く育ちました。経験がそうさせてくれました。小さい頃は、確かにひ弱でした。が、性格って変わるものだという事を自らの経験で確かめています。
体質は変わっていません。が、胃痛持ちだったのが、今ではほぼ忘れています。性格など、いくらでも変わるものです。「感受性が高いのですよね・・・」と言われて嬉しくないことはありません。
私はとても鈍感で、他人の許容量も自分ほどあると考えてしまって何を言っても大丈夫だと思ってしゃべってしまいます。琴線に触れるということを平気でしてしまうのです。どこに地雷があるかなど、考えることもありません。
そうやって地域社会で生きてきましたし、喧嘩する時は喧嘩もしてきました。不起訴にはなりましたが逮捕されたこともあります。自分の性格がどんなものかを最近は考えることもしません。かといって、自分自身に興味が無いのではありません。
性格を見つめることが占星術では無くて、良く無い性格があるとしたらそれを変えて行こうとするのが占星術です。「感受性が豊か」というのはともすると良い事のように思われますが、「弱虫」と同義語かもしれませんよ。世の中には自分の感情を押し殺して前に進まなければいけない時は結構あります。今は、そういう時なのではないでしょうか。
国に住む人々の命を守る事を防衛とすれば、原発の冷却機のモーターを高台に設置するというのも立派な防衛です。原発を直ぐに無くすることはできないのです。でも、防御することは今回の経験でできるはずです。だから原発をもっと増やしても良いということとは違います。軍備を増やすことだけが防衛ではないはずです。
そういう視点、今までと違った視点を与えてくれるのも西洋占星術の持つ大きな魅力の一つです。自分の考え方が変わるのです。
西洋占星術を学んできた中での最も大きな経験は、「神様なんて居ない」と考えてきたのが、「神様はいらっしゃる」と変わってしまった事でしょうか。一つの学びが信仰とは言えませんが、信心深くさせることがあるのです。自分自身の経験から、これは西洋占星術の大きな一つの利点であると考えるようになりました。
コンビニエンスに相手の性格を読みとっても、ほぼ誰の利益にもならないでしょう。罪が無いといえば確かにそうなのですが、もっと深く西洋占星術を探っていただきたいのです。その先には、これまでの考え方を変えるくらいのインパクトを持つものがまだまだ沢山眠っていそうです。
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